Path of My Life

今自分が歩んでいる道を振り返るためのブログ。

私の根底にいつもあるもの①

おはようございます☀️

最近、時間のある朝には、はてなブログを見るのが日課になってきました。

やっと、ブログの読者になることやグループに所属することを覚え、たくさんの人の考えを知る機会が増えて幸せです!でも検索の仕方が難しいです笑

今は、はてなキーワードから検索してブログ検索しているのですが、これはスタンダードなやり方なのでしょうか…笑

 

ではでは、『今回は私の根底にいつもあるもの』というタイトルで私の大学生活に感じたことをお話ししたいと思います。

 

 

私は現在大学3回生ですが、1回生の頃から学生NGO団体に所属していました。もう少し具体的に言うと、年に2回タイの田舎村に行って教育分野や農業分野、観光分野で開発支援を行う団体に所属していました。現在、17年続いている団体です。最近、その団体での任期が終了し引退したのでこれを機会に支援を通して感じたことや今後について述べます。

 

私は、その学生NGO団体の中でも教育分野に特化した部署に所属していました。児童教育部という部署です。元々、国際関係の仕事に就きたいと考えていて(今は違う)やっぱり人の生活を豊かにするのは学んで発見することに限る!という考えだったので教育部に決めていました。

実際に、私が行ったタイの村はバンコクから約8時間離れた田舎の村。

初めて行ったときは1回生の夏でしたが、小学校に行って色々衝撃だったことがありました。

まず、何と言っても日本の小学校とタイの小学校の違いです。

 

日本の小学校は(少なくとも私が通った小学校は)

・小学生でも毎回テストテスト

・机に向かってガリガリ勉強する

・国語や算数のような専門科目外の体育や図画工作、習字の授業、部活動など多方面に渡った授業展開がされている

 

対して私が行ったタイの小学校は

・テストはO-NETという全国統一模試的なやつが主流(年に数回?)

・机に向かう時間は少ない、たまに授業を抜けて走り回っている子がいる

・副教科的なのは聞いたことない。部活動等はなく、学校が終わったら家の手伝いをする児童が多い

 

という感じでした。習い事もしてないし、日本の小学生とは違うところがたくさん見られました。また、教員不足で(これは日本もかも)ビデオ教材を見て勉強をする授業もあるのを知りました。

教員の手に負えない児童は、そのまま放置されていました。その学校では当時教員のモチベーションは見られませんでした。

私のエゴかもしれませんが、何のために学校に行っているのか、それを伝える役割にモチベーションがなくてどうなんだという思いがあり、正直、教員のことを本気で好きになることは難しかったです。すごく親切だったんですけどね笑。しかし、私たちは教育学部で勉強している大学生でもないし、ましてや支援先はタイ。タイの宗教を重んじる点や教育に対する考えも日本と異なる点において、私たちの考えを主張しすぎるのも違うと考えていました。その辺が海外で支援をすることの難しさの1つですね。

しかし、教員にも教員の要望があって、それは私たちが活動をする際の重要なニーズ源でもありました。ニーズと言っても最初に出てきたのは金銭的支援でした。私たちは学生だし、金銭的支援を目的とした活動を行なっていません。

私たちは、何年も支援しているのに、教員にどんな活動を重視しているのかさえ理解してもらえてなかったみたいです。伝えることははっきり主張しないと、ましてや言語面で壁があるのに理解してもらえないのは当たり前ですよね。

…というように、現地で問題だらけでした。

 

続きます、ね。