Path of My Life

今自分が歩んでいる道を振り返るためのブログ。

Nuovo cinema PARADISO📽

ちょっと前に、Netflixで3本映画を観ました!

1作目は『フラッシュダンス

2作目は『恋は雨上がりのように

3作目は『ニュー・シネマ・パラダイス

 

 今回取り上げたいのは、ニュー・シネマ・パラダイス!(ネタバレあり)

人生で初めてのイタリア映画かもしれません。1年くらい前から友達に薦められていた映画なのに、なかなか手をつけられずにいました。そういう映画、多いんですよね。

 

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人間復活

 

メリットがあると理解した上で、インスタを辞めることは無理だと思ったので

インスタ自体は辞めていませんが

人のストーリーや投稿を見るのを避けるようになりました

 

それを心がけることができてから

余計な不安を感じなくなりました

羨ましいと、ないものねだりする感情

あんたに無い物は無いんだよ笑

ないでいいよ!

あの子も誰かにないものねだりしてるだろう

ないものねだってどうするの

いいなーって思ってても何も変わらないし

ないものをねだる人を可哀想だと思えてくるよ

空からお金が降ってくることをずっとその場で待ってる人みたいだなと思うよ

 

そんな人、放っといておこう

でもないものねだりする人は減らないだろう

じゃあ、私はないものねだりされる人になって

今以上にその人たちを哀れみの目で見てやろうじゃあないの

SNSに踊らされる人たちを

 

ストーリーや投稿を見なくなってから

今まで流されっぱなしだった自分は

自分にも意思があることを再認識できるようになりました

インスタに踊らされていた頃は自分を見失っていた

少し距離を置くようになってからは

考えることが増えた

人間だからできる、考えて、言葉にすること

今頃、人間に戻った感じがする

今も踊らされている人たちは人間から猿になっているように見える

語彙力がなかったり、必要以上に世間体を気にしたり

テクノロジーに脅かされていては、ダメだ

私はみんなの逆を行くよ

じゃあね

 

恋愛不適合者

 

大人になってから

好きな人ができなくなった

音楽や本、映画の「好き」はわかるのに

 

小さい頃はみんな

 

走るのが早い人

顔がかっこいい人

勉強ができる人

 

そういう、みんなが好きになる人を

好きになった

その頃から自分がどんな人が好きなのか分かっていなかったのかもしれない

 

完璧な人間はいないと分かり始めた頃

相手に完璧を求めるべきでないと学び

自分を磨く必要性を知って

なのに

自分を磨くための、自分のための理想を

結局相手に求めてしまっている

 

「理想」と「好き」は似ているようで違う

大人になると

友達としての好き

恋人としての好き

依存と好き

情と好き

いろんな好きに似たものがあることを知って

感情を分類することができるうちは、まだ本気の好きじゃないと思った

同時に

冷静さをもって人を好きになることは

大人であることの証なのかもしれないとも思った

もう子どもみたいじゃいられないんだろうな

恋愛バカになりたくないし

 

でももし、私が人を好きになったら

リスクばかり考えてしまうだろう

流されてしまうだろう

もうこんな、そんな、あんな思いはしたくない

今までの人生を振り返ると

もしかしたら初恋はまだなのかもしれない

 

 

 

若者に私をまとめないで

昨日の話

 

最近の若者世代について

 

聞いた話と個人的な主観も入ってるかもしれませんが

若い人の中にも自分で調べる能力がない人が多いみたい。

私の親の職場でも調べずにマニュアルに書いてあることを聞く人がいるみたい。

私の後輩にもいる。

いや、なんのためにまとめてるか分かってる?

このファイル開いたらすぐそこにあなたがまとめている答えは載ってるよ?なんで調べないで質問してくるの?調べてそれでも分からなかったら聞いて確認とりなよ…

LINEで聞かれてちゃんと調べたらあるよと言ったら既読無視。あんたせめて分かったか分からんかったかのリアクションくらいとりなさいよ…お前なんか社会に出て苦しんでしまえぇぇぇぇえ!

って脳内で思っています

 

前のバイト先の新年会で、現地集合だったときの話なんですけど何日も前から場所はアナウンスされてて私は行ったことないからGoogleマップで調べてから行ったんですよね。

 

そしたら

私より6、7歳ほど離れている女の人から電話かかってきて場所わかんないんです〜って

普段は仕事はしっかりこなす人なのに。

あのさぁ…調べろよ

 

と思った

 

いつも思うのは、若者世代だからって

みんながみんなできない人じゃないんだよってこと。でもあまりにもきっと多いんでしょうね。

私は高校の陸軍養成学校教育(自分でそう呼んでる)やバレエの先生や親から精神的にもボコボコにされながら生きてきたので耐性はあるけど、上からなんか言われたらすぐしょんぼりしちゃう人も多いみたいですね。

指示待ち人間になるな!って何度も体育教師から言われました。あのとき厳しく指導してくれてありがとうございましたと、人間力を磨いてくれた良い先生でした。

 

あとホウレンソウも大事ですね

社会人になったら、私は私という存在として見てくれる会社に勤めたいもんです。

期待値は高くはないけど。

 

夏より冬なのかもね

私には正反対の性格の友だちがいる。

 

その子は誰にでも優しく

いつも笑顔で

みんなと仲が良い(少なくとも私にはそう見える)

 

客観的に見て、そう。

 

私は

全ての人に優しくはできないし

いつも考え事をしているからか

真顔なことが多い

積極的に人と関わろうとしない

 

最初、その子のことを偽善者だと思った。

影がないように振る舞える彼女は大人に見えるかもしれないけど、自分を殺してないのかなと思った。

 

でも、彼女には彼女なりの悩みがあるし

ときに私の心配をしてくれる。

 

私は、良くも悪くも人に関心がない。

だから私の心配をしてくれた時はすごく感動した。同時に、私は最近人に思いやりをもって接しているだろうかと考えた。

 

思いやるほど人には出会わないけど。

新たな段階を踏めば、また自分のことだけで頭がいっぱいになって人を思いやる機会が今よりも減るかもしれない。

 

彼女と私は正反対だけど、

だからこそ見習いたいな。

自分の色は変えずに。

 

たまに、人の良いところを褒めたり

笑顔で話せたりしたときは

自分の心もほこほこしたような気持ちになる。

 

冬だから、寒いから

夏よりも

人に優しくなりたいと思えるのかも。

 

 

 

 

 

逆境で咲く花は最も貴重で最も美しい

‪理解力がないと‬
‪言葉の本質を見破ることはできない‬
‪言葉そのものに目を通しても意味がない‬
‪幼いうちに言葉に出会っても

理解しないまま時が過ぎたら

知っているだけにすぎない‬
‪あのとき理解していたら…っていう振り返りがあるから

同じ言葉を知っていても

同じ人間になることはない‬

 

人生に関わる言葉や人、チャンスに

早いタイミングで出会うか

遅いタイミングで出会うか

分からないからこそ人は一人ひとり違う

 

 

 

将来の話

大学生活も残り少ない三回生、就活の時期。

 

幼稚園の頃から、ろくに将来の夢がなかった私。

 

唯一私の中で残り続けたのは正義感。困っている人を助けたい、そんな気持ち。

頭が追いつかないけど、病院で働く、弁護士になる…そうやって人の助けになれたらと漠然と考えていた小学生、中学生の頃。

 

でも、正義感とは何か。

人を助ける仕事は、人の役に立つ仕事にも含まれている。

私が本当になりたいものはなんなのか。

なりたいものを決定しなくてはならないのか。

 

YouTubeのテーマ?に『好きなことで、生きていく』というフレーズがありますね。

彼らは私たちに笑いや、夢、時に知識を与えてくれます。

 

私も好きなことで生きていきたい。でも、何か違う。

好きなことが嫌いになる人もいるだろう。じゃあ、好きとは何なのか。

 

私は、知的好奇心がくすぐられること、知識を取り入れることが好きです。だから、ゼミで好きなことを研究しているし、学ぶ機会を与えてもらっています。

でも、今まで学び続けた時間。

学ぶには色々方法があるけど、学問としての学びは少なくなってきてしまうのではないか。

それが、仕事を好きになれない理由になるのではないか。

私は、働く、とか仕事という言葉に対して、どうしても抵抗感や違和感を感じてしまいます。

でもそれは、生産者ではなく、消費者であることが楽だからなのか。

全てにそんなことは言えはしないけど、でも学びの消費はとても労力と時間を要します。

 

人生ずっと学ぶことはできても、仕事というこれからの人生の大部分を占めるようなある意味厄介なものを主軸にして生きる限り、学びはサブ的存在になってしまいそうです。

日本で働くということはプライベートを犠牲にするという印象が強い。

私にとっての学びはどこに行ってしまうのだろうか。

そうやって考えると、ますます就活が重たいものになってしまいました。